人は目新しい物に惹かれる。遠距離の交易が莫大な富を約束するのは、ユーラシア大陸内陸部の諸都市を結んだ「絹の道」の歴史でおなじみだ。15世紀初頭、大洋航海路の開発は時代の要請だった。富を求めてヨーロッパ人達はアフリカ大陸沿岸をまわりインド洋へ、或は大西洋に出た。その後、新大陸の銀がスペイン帝国を支えた。そのスペイン人を追い落として、その後ウオータールー会戦でナポレオンを破って以後一世紀に亘る無敵大英帝国の栄華を基づいたイギリス人は、ご存知「産業革命」の仕掛人だ。帝国の発展は武力と並んで学芸(Pen & Sword)に支えられている。16世紀後半から17世紀前半の英国の哲学者で帰納的科学方法論の祖,フランシス・ベーコン卿が植民地主義者であったかどうかは知らない。が、彼の言葉『知識は力なり』は、しばしば大学大講堂入口の正面扉上の壁に刻み込まれている。ヨハネ福音書に伝わるキリストの言葉『真実が汝を自由にする』と並んで、よく演説の折に引かれる箴言だ。

はじめて地の果ての向こう側を目指した、つまり、地球全体を視野に入れて大航海時代を切り開いたポルトガル人とそれに続くスペイン人やオランダ人達は、確かに新しい知識を求めていた。一番乗りかどうかについては、古代フェニキア人の後を辿ったに過ぎない、との考えもある。あるいはもっと視野を広げて史実に迫れば、ポルトガル人よりもずっと以前に、明の永楽帝が派遣した鄭和提督の大遠征航海が,西の海に向かって7回にわたっておこなわれていたという事実はどうか。鄭和が62隻,2万7千人を率いて第一次航海に出発したのは, ポルトガル人による北アフリカのセウタ攻略の10年前、1405年だ。彼らはアフリカ東海岸地帯に足跡を残した。ただ、明の永楽帝は中華思想の権化であっても植民地主義者ではなかったが、この時代、英・仏・蘭を先頭にヨーロッパ人達は先を争って植民地主義者になった。1776年に英国植民地から独立したアメリカ人はもとより、江戸時代末期にからくも欧米露の植民地になり損ねた日本も亦、明治維新後は富国強兵をもっぱらとし、後発組の独・伊と並んで植民地経営に参画した。儲や慾がからむと、[新しさ+力]→[植民地主義]の仮説が成り立つ。

新しさを求めて止まない科学研究者は、大航海時代の船乗りと同じなんだろうか?或は又、石炭を炊き、熱い水蒸気を動力に変えた発明家と同じなのであろうか?ともあれ、大昔から変わらない人の生き様は、激しい競争の末、より早く新しい情報・知識を得た者が力を手にして、当然、あらゆる点で先に立つ事だ。仮に、あなたが有名大学を卒業後、大企業に就職したとしよう。人に先んじて昇進するのは誰か。新商品を開発した貴方だ。これが研究者の世界なら、新しい情報に先んじたあなたが、同僚をおさえ研究費を確保する。お陰で次々と新しい成果をあげる。こうして集団の先を走り続ける者は、やがては「高名なクラブ・サロンの会員証」をも手に入れるだろう。我々は競争原理に基づき、互いにしのぎを削り己の技倆を磨く。勝ち組の取り分はいかにも幾何級数的に大きいからだ。こうして頂点に立つ者が学会内での流れをつくる、「車輪を再発見」する者さえいる。それ以外の研究者にはそれぞれの出来高・成果に応じてレッテルが貼られ、決まった路線に乗せられる。誰もが自分の境遇に満足している訳ではない。がさりとて、時代の流れに棹差すのも大変だ。踏み外せば置いてきぼりだ。何故なら、研究者の毎日とて、流行つまり数の原理抜きにはあり得ないから。この点では、何ら、他の分野を取り巻く人間模様と変わるところはない。

投資競争に勝ち残ったジョージ・ソロスは、ソロス資金運用会社の会長で、世界規模の福祉財団を動かし、苦悩に満ちた今の時代を先導する者の一人だ。米国で昨今のサブプライム不動産抵当権こげつきの波が引き起こした目下の不景気にからんで、あるテレビの取材に応じて興味ある発言をしている。「今度出す新しい本にも書いたが、我々は1920年代の世界大恐慌以来の財政危機に遭遇しているようだ。勿論最悪の事態を避けることはできるが、その為には、今のやり方が間違った前提に立っている事をまず認めねばならん。今はまだ広く受入れられているが、市場には自浄作用がある、と云う独善的な『市場至上原理主義』は止めねばいけない。1980年以来既に5,6回の財政危機を経験したが、いつも政府の介入で救われたのだ....その度に新しい,もっとややこしい投資方があみだされる。例えば、企業の債務不履行にかける「credit-default swaps」なる投資は総額45兆ドルにもなるが、これは規制なしの野放しだ....経済学の専門家達が市場の動向を説明するために、『ランダム・ウオーク』とか『合理的予想』などの理論を作り出した。これは大学で教えている。でも、市場自体はそんなもんでないのを見て、われわれはこれらの諸理論を忘れがちだ。が,(ちゃんとした)考えの基本はこれなんだよ....」質問者の問いに答える形で、次の数年間で米国内で5百万件ほどの住宅ローンの焦げ付きが起るだろう、との見通しを述べた後,資産の額面価(バブル)がこれ以上膨らまない様に、「投資の為の信用貸し(leverage))を規制せねばならない,と云う。過去にこれを利用した投機の掛け繋ぎ(hedge funds)で財をなしたソロスにして初めて云えることかもしれない。世界を先導する米国金融市場は、クオーター(四分の一期)毎の利潤を求めて、次々と新商品を生み出した。そして今回の世界金融市場崩壊だ。その温床となった1980年代の米国レーガン政権以来の経済放任主義に対するソロスの心配事の根源にあるものは、何故か、直に役立つと云う短視的見返りを最前提とした昨今の科学研究費配分の危うさへの危惧につながる様に思えるが、どうであろうか。

先の第二次大戦前・中の話しだが、阪大理学部教授の槌田龍太郎は教授会での暇つぶしに新しい「折り紙」の型を数々編み出した。あるいは、戦争非協力の為に、「役に立たない」科学研究に励んだ。「雪解け」時代のロシア詩人、オクジャワ、が歌う様に、人は情熱に押されて「偶像をこさえてはいけない」。偶像は作るまい。ただ、あの昭和戦争の時代に、役に立たない研究がなされた事はとても興味深い。今ではとても許されまい。あるいは逆に,引っ張り凧か。世の中が変わり、屁の突っ張りにもならぬ「発色する複合化合物」は、今ではきれいさを売りのりっぱな商品となるかも知れない。因に我々の毎日の生活は色彩に取り囲まれている。ブルー・ダイオードの登場が如何に世の中を変えたか思い起こせば充分だ。目先の事は別としても、せめて槌田教授にならい、どんな風に自分が関与して新しいもの・考えを作るのか,と云う視点がないと科学者の仕事は先であぶない。我々の記憶ではマンハッタン計画がその典型だ。人間のおこなう数々の生業の中で、いくら真実を尊ぶからと云って、科学研究だけが自浄作用の恩恵を被っているとは考えられない。身近な所では、一昨年(2007年),私の出身校である阪大医学部の或る研究室から如何にも当世風のデータ捏造事件が報じられたのは、未だ耳に新しい。けだし、新しさは常にあらゆる種類の危険で一杯だ、新しさを作ろうとする者にとっても、競争に立ち後れて新しさを押し付けられる者にとっても。でも,時は刻み続け、我々は立ち止まる訳には行かない。オクジャワの歌う様に、進行するエスカレーターの右側に立ちつくすことは出来ないのだ。

フリーマン・ダイソンと云う人物がいる。プリンストン大学高等研究所の物理学名誉教授で、文章を良く書き、鋭い批判で知られている。二酸化炭素削減・地球温暖化対策については、これまでに数多の提言が行われたが、その走りの一つ『スターン論評』は「大英帝国の燃えかすに油をそそぐもの」と見る経済学者もいる。当世流行の「環境主義」が社会主義に取って代わる「非宗教的」宗教であると認めた上で、環境問題を科学および経済の絡み合いでとらえる際、一番の関心事は科学の名の下に見られる独善だ、とダイソン教授は云う。「地球環境の保全と人類の未来を守れ」と錦の御旗の下に道義上最左翼の立場を取る英国政府は、『スターン論評』に沿った既定の政策を振りかざし、それに同意しない者を無視しようとしている、と批判する。更に、科学の歴史上では多数派の考えが間違っていた事は多々あるとして、彼は『気象変化論争の答え』と題する一般むけパンフレットを作った英国王立学士院の立場をも厳しく批判する。箴言「誰も究極の言葉は吐けない(Nullius in Verba)」を引きつつ、「彼らは地球温暖化に就いての多数派の考えに同意しない者を科学の敵と断罪している」と云う。ダイソン教授の論拠は、何よりも、疑うのを止めれば科学でなくなるからだ。8年続いた米国のG.W.ブッシュ政権が「神の導きのもとに生まれた政策」実行のために、臆面もなく、科学の成果をねじ曲げ、或は法律一般はもとより合衆国憲法まで読み替え、とうとう、この国の保守本流からさえ見放された事を思いかえせば、ダイソン教授の指摘は的を得ている、と云うより他ない。科学研究にのめり込み、成果を上げて、人より一歩先を行くことは楽しい。が、21世紀初頭の我々はもう誰も植民地主義者には戻れない。発想の転換(paradigm shift)は常に必要だが、現状打破を意味する筈のブレイク・スルー(break through)などと云う心地よい響きの仮名新造語にはご用心。

   
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